時間旅行者の夢(81) [小説『タイムトラベラーの夢』]
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「湯加減はどうだった?」
翠川は静かに答えた。
「良かったですよ」
それ以上の説明はされなかった。
道長女史は、もしかしたら翠川がレイナとベッドを共にしたかどうかを知りたがっているかも知れない。
だが、そこまで誰も気にすることはなさそうに思えた──来賓客が異常かつ見境いのない性的興味振りを発揮していることは事実だが。
そして、翠川の快活で和やかな様子には、つい三時間ほど前にその人格を根こそぎ踏み荒されたような気配など微塵もない。むしろ彼は、レイナと寝た方が良かったのではないか、とさえヒカルは思った。彼のように孤独な感じの男にとって、それは返って健康な体験だったかも知れないのだ。
だが、この件について、ヒカルは富岡早苗からある話を聞かされた。それはあの日──レイナが男を部屋に招き入れる可能性があった日──男性陣の間ではひとつの申し合わせがあったというのだ。
レイナから誘われた者は、断らないこと。性行為を受け入れること──反対する男がいるのかどうかは置いておくとしてだが。
そしてここが肝心なところなのだが、なんとレイナの身体的特徴を確認することだった。
にわかにはヒカルは信じられなかった。馬鹿げていると思った。だが、富岡女史に訊いたのだった。
「でも、それに何の意味があるのかしら?」
というヒカルの疑問と、盗撮までされていたことは男性陣にも予想がつかなかった、というのが共通の認識だった。
数分遅れて、レイナ・ランスロットと川田が現れた。そして、ヘリコプターが待ち構えている屋上へと、ヒカルたちを誘導した。
ヘリコプターは全部で四機──報道関係者六人で一機、ヒカルたち委員六人とレイナ・ランスロットで一機、川田たち役人で一機、そして警備員たちで一機。ヒカルが乗った機は三番目に出発した。
ヘリコプターはタービンの唸りを上げて夜空に上昇し、南西に向かった。飛行中、他の機影はまったく見えなかった。
レイナは眼下に煌めく市街を興味深げに窓から眺めていた。
「この都市の人口はどれくらいですか」と、彼女は訊ねた。
「約一千二百万人」と、富岡早苗が答えた。
「その全部が人間ですか?」
この質問は、ヒカルたちを戸惑わせた。しばらく間をおいて、翠川が言った。
「一部が異星から来た生物かという意味なら、答は『いいえ』です。地球にはまだ異星人が居ません。まだ我々は太陽系で知的生物を発見していないからです」
「いえ」
と、レイナは応えた。「わたしは異星人のことを言ったのではありません。地球の原住民のことです。ここに居る一千三百万人のうち、どれだけが純血種の人間で、どれだけが奉仕者ですか?」
「奉仕者? ロボットのこと?」
と、富岡早苗が聞き返した。
「人造人間という意味ではなく」
と、レイナは辛抱づよく説明した。「わたしが言うのは遺伝学的に人間と異るため、人間の地位を完全に与えられていない者たちのことです。この時代にはまだ奉仕者は居ないのですか? 適当な質問の言葉がうまく見つからなくて困ります。どうもうまく言えません」
ヒカルたちは不安げに顔を見合わせた。これがレイナ・ランスロットと交わした最初の会話らしい会話だというのに、早くもコミュニケーションの断絶が始まっている。
道長遥子は、この嘘寒い恐怖、なにか別種の生物と対面している感覚に襲われていた。脳の中の懐疑的理性的な原子のすべてが、レイナ・ランスロットを才能豊かなだけのペテン師だと告げているのに、レイナがこういう行き当りばったりのやり方で、人間と奉仕者の住む世界のことを語ると、そのもどかしい説明にかえって真実味を感じてしまうのだ。
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