時間旅行者の夢(82) [小説『タイムトラベラーの夢』]



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 だが、レイナはそこまでで話題を打ち切ってしまった。


 飛行は続いた。眼下には多摩川が流れていた。とうに都市圏は背後に去り、黒々とした小高い丘を覆う林が前方に現われるのと同時に、ヘリコプターは箱崎の大邸宅の私設飛行場に向かって下降を始めた。


 箱崎邸は目映いばかりに輝いていた。ヘリコプターを降りた場所の二、三百メートル向こうに、それは見えた。遥か多摩川を見おろす丘の上に立てられたそれは、頭上の星空に緑の光の柱を立ち昇らせている。


 造園のあいだを抜けてから、一同は斜面に設けられた屋根つきのエスカレーターに順に足を乗せた。
 徐々に屋敷に近づくにつれ、皆が斜面の上に注目した。まわりの家々のどれよりも高い、八つから九つの塔が屋根を構成し、それらが照明を受けて星空に異彩を放っている。天をつく丈高い樹木の凍てついた枝々へ、花柄のように懸け渡された小スピーカー群からは、かん高い、活気にあふれた音楽が響いてくる。


 エスカレーターはヒカルたちを建物の正面へ送り届けた。ドアが委員会一行を呑み込もうと大口を開けた。そのガラスに似た滑らかな表面には、先頭に居てしかつめらしい顔をした小太りの、不安そうな表情の富岡早苗が映っていた。


 ヒカルは笑い出したくなった。この建物を設計したのも狂人なら、ここに住んでいるのも狂人だ。
 しかし、独創性もここまで徹底すれば、一種の倒錯した誇りが湧くのも無理はない。


「これは凄い!」
 と、有藤が叫んだ。「奇想天外だ! あなたはどう思うかね、え?」と、レイナ・ランスロットに訊ねた。


 レイナはうっすら笑顔を浮かべた。
「面白いと思います。この療法はよく効くのですか?」


「療法!?」

「ここは錯乱した人間を治療する場所でしょう? 精神病院、確かそういう名の?」

「いや、ここは大富豪の邸宅ですよ」
 と、有藤がむっとして言った。

「そう」と、レイナが白々しく応えた。


 執事に部屋へ案内された。パーティはたけなわだった。広い部屋に大勢の客が集まっている。


 今、ヒカルたちのまわりにいるのは、主賓の到着よりずっと前から祝宴を張っていた優雅な客たちだった。人々は歌い、踊り、呑み、そしてあらゆる雑談の騒音を吐き出していた。


 その上に、スポットライトが戯れている。眩い光の一掃きが、見覚えのある顔──俳優、実業家、政治家、テレビタレントなど──を何十人も照らし出した。


 箱崎は上流社会に投網を打ち、有名で華やかで非凡な人びとを選りすぐったらしい。そんなに沢山の人を、それと名指せるのは自分でも意外だとヒカルは思った。


 考えてみれば、クライストチャーチの端で暮らすヒカルのような世事に疎い者でも、ときどきインターネットで見て知っているほどの顔ぶれを一堂のもとに集められることで、今の箱崎の実力が推し量れようというものだった。


 気がつくと、数枚のカラフルな布切れしか身につけていない娘が、ほぼ広間の中央でくっくっと笑っている。鏡のように光るタキシードを着たイケメン二人が、娘の腕を取りに来たが、彼女はその手から逃れて別のグループへと流れた。まもなく二人の青年も娘の仲間入りをしたが、その傍らでは小鼻に宝石を飾った別の美女が、図体のでかい格闘家のリズミカルな抱擁の中で矯声を上げている。


 眩暈を感じながら、ヒカルはそこに立ち尽くした。そのどぎつさに反発を覚えながらも、並外れた奔放さに対する異質ともいえる悦びを感じている自分に気付いていた。


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