時間旅行者の夢(75) [小説『タイムトラベラーの夢』]



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「一杯でも、二杯でもどうぞ」
 と、ヒカルはあっさり答えた。

「こっちの懐が痛むわけじゃないからな」と、翠川が言った。

 しばし沈黙があって、また彼は話を切り出した。

「今までに誰か、道長女史と寝た男を聞かないかね?」

 翠川は酔い始めていた。

「いや、別に」と、フィルが返した。

「ああ、失礼」
 急に翠川は片手を振って、「訊く相手を間違えた。きみたちは日本に来て、まだ間がないんだったね」

「というより」
 と、フィルはちらっとヒカルを見た。「レディの前で話す話とは思えないがね」

 するとヒカルが、
「どうしてですか?」と訊いた。

「ちょっと気になったんですよ。彼女がレズじゃないかと思いましてね」

「それはどうかな。なぜ、そんなことが気になるんだ?」

 翠川は弱々しく笑ってから言った。
「夕べ、彼女を誘惑しようとしてね」

「知ってるよ」

「したたか酔ってたんだ」

「それも知ってる」


「僕が部屋へと誘いをかけたとき、彼女は妙なことを言った。『男とは一緒に寝ない』ってね。それを、余程の馬鹿でなければ気がついて当たり前というように、抑揚のない平叙文的口調で言ってのけたんだ。

だから当然、彼女のことで知っておくべきことを知らずにいたのかと、いささか心配になってね」


「ミスター川田に訊いてみたまえ」
 と、フィルは教えた。「彼のところには、我々全員の詳しい調書があるんだ」

「それはしたくないな。つまり──あまり僕に相応しからぬ行動でもあるし」

「道長女史と寝ようとしたことがかい?」

「いや、あの役人に内部情報を訊き出しに行くことがさ。こういう問題は、我々の間だけに留めておきたいからね」

「我々、"学者"の間だけに?」
 と、ヒカルは意地悪く念を押した。

 フィルはちょっと驚いたようにヒカルを見た。


「まあ、そういうことだ」
 と、翠川はとってつけたような笑いを浮かべている。「そこでだね、余計な相談を持ち込むつもりはなかったんだが、ひょっとしてその──あなた方なら彼女の、なにか彼女のことについて役人から聞いていないかな……と」


「彼女の性愛傾向を?」と、フィルはことさら目を丸くした。

 翠川は頷いて見せた。

「いや、全然知らないな。あの人は優秀な生化学者なんだろ? そして、どちらかというと内気な性格らしい。わたしに言えるのは、それだけだよ」


 しばらくして、翠川はようやく立ち上がった。フィルも自分の部屋に戻って行った。
 廊下には、有藤の部屋から漏れた豪傑笑いがコダマしていた。


 ヒカルは囚人のような気分になりかけていた。今、川田に電話して、すぐに家に帰らせてくれと頼んだら、どんな顔をするだろうか?

 ヒカルは裸になってシャワーを浴びた。


 その後、しばらく本を読んでいたが、いつの間にかうとうとしたらしい。

 午後五時頃、携帯が鳴った。川田が、レイナ・ランスロットの日程を通知してきた。内容は月並なものだった──京都、奈良、なぜか東京証券取引所、そして工場などだ。


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