セリナの恋(2) [小説『セリナの恋』]



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 大学で知り合って単なる友達の一人だった若者が、いきなり婚約しようと言って買った指輪。そのためにセリナの人生が決まってしまったことに、彼女は戸惑いを覚えていた。


 しかし、彼も遊びで、彼女も遊びで始まったことだったが、薬指の上の銀色の輪が日と共に少しずつくすんだ色合いになっていくにつれ、気持ちの方も固まっていった。


 指輪がすっかり指に馴染み、時としてそこに金属の輪が嵌っているということすら忘れていることがあるようになると、周囲の者たちが二人は本当に結婚するのだと言い出し、するとそれはいつ頃の話なんだと質(ただ)したりした。


 したいときが年貢の納めどきさ、と軽く笑い流す翔一の傍で、セリナも、「そうよ、そうよ」と頷いて来た。


 そんなとき、なかば人ごとのようでもあり、なかばなにかにすがり付きたいほど幸福だった。彼を信じていた。


 そのうち翔一が、東京の尚書館文芸賞に応募するんだと言い出した。

 留学する以前から書き始めているものがあって、こうしてサンフランシスコに来たけれども、ここでの仲間達の日常のエピソードを書き加えて完成したという。


「俺はこの賞に賭ける」

 そう言った翔一の表情を見ていた時、初めてセリナの胸に一抹の不安が湧いた。結婚の時期が気になりだしたのは、その頃からだった。


 西日が射し始めると、湾に面した前庭から日陰がなくなった。頭上を重く覆っている松の葉の匂いが一段と濃くなり、それに夕暮れ時特有の潮の香りが混じった。


 西日を受けて海が銀盤のように輝いて見えた。裏の林で突然蝉が申し合わせでもしたかのように、いっせいに鳴き始めた。


 ここはサンフランシスコ湾でも特に静かなエリアだった。しんとした、動くもののなにひとつない海辺の光景の中で、耳にする蝉の鳴き声は、かえってあたりの静けさを強調していた。


 いい知らせなら、もっと早く電話が掛ってくるはずなのだ、とセリナはようやく現実的に事態を受け取り始めた。知らせが遅れているということは、賞の入選を逸したからに違いない。


 翔一のことだから、入ればいっときだって無駄にせず、笑いを堪え切れない子供のような表情で、あちこちに電話をしまくるだろう。


「どっちになるか分からないけど、明日の夜は、セリナと酒盛りだ」

 と、昨夜遅く、酔いを含んだ声で翔一が電話をして来た。

「入っても入らなくとも、そっちへ行くよ。そしたら二人で夜の海を眺めながら、酒を呑もう」


「大丈夫、入選するわ、絶対」


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